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雑記:「100日後に死ぬワニ」はステマと言えるのか?

「100日後に死ぬワニ」のツイッター漫画連載が終了した。そして、終了前には予想しなかった騒ぎが起きているようだ。

それは、「『100日後に死ぬワニ』は電通ステマだ」という意見だ。ツイッター上で色んな意見が流れてきたので、少し整理して考えたことを残しておこうと思う。

 

結論から言ってしまえば、今回の騒動全体を指して「ワニはステマだ!」と短絡的に評してしまうことは出来ないと思う。

 

ステマ」ことステルスマーケティングにどのようなものがあるか。

 

  • 企業から依頼された宣伝物を、あくまで個人のオススメであるとして、偽装の口コミを作る
  • 店頭にサクラの行列を作ることで、「行列のできる人気のお店」だと錯覚させる偽のイメージを作る
  • さも客観的な評論であるかのように、内部の人間を公平な立場だと偽り評論させる


ありもしない「人気」「評判」を偽装して宣伝広告してゆく行為をステルスマーケティングと言って来たのではないだろうか。

 

では「ステマだ!」と叫ぶ人たちは、何を隠されてきたと感じているのか。それはおそらく「個人で漫画制作・連載してきたものだと思って来たのに、コンテンツ作成に企業が関わっていたこと」だろう。

しかし、コンテンツ作成が個人で行われたかどうかは、ステマの是非には値しないだろう。

そもそも、漫画を描くにあたって、執筆者の他に、編集者などが関わっていることは珍しくない。大企業でなくても、アシスタントを雇って描く漫画家さんなんて昔から当たり前のようにいる。そういったアシスタントを雇った個人の漫画家さんの作品をすべて「ステマ」と呼ぶのか?そうは思わないだろう。

では、漫画執筆以外の点はどうだろうか。ワニの連載終了前後に、書籍化・コラボ楽曲・映像化・オフィシャルショップ展開など、様々な企画が立て続けに発表された。コンテンツを盛り上げる為に各社企業が参入して、それぞれ多方面に仕込むことは珍しいことではないと思う。「100日後に死ぬワニ」という企画を立てて、それを連載する人がいる、グッズを作る人がいる、PRを担当する人がいる。

これらの展開が、いつから、どのように企画されてきたのかは明らかにされていない。漫画連載後に多方面から企画が来たのかもしれないし、漫画連載前からあらかじめ企画されていたことかもしれない。恐らく「ステマだ!」と憤る人が”隠された”と感じている部分は、この部分であろう。

しかし、この見えない人たちの存在が、ステルスマーケティング行為とみなされるわけではないと思う。ここで関わった人たちは、それぞれ連載終了のタイミングに合わせてそれぞれの仕事をしていただけなのだから。むしろ世に存在する様々なコンテンツは、チームで作り上げているものも多いし、チームで計画的に取り組んだ方がクォリティが良いものが多いと思う。

仮にもし、ワニのステマが存在するのならばそれは、

  • 企業が作成したアカウントが個人を装い、ワニの漫画を紹介して「この漫画とても気になる!」など口コミを投稿(もしくは投稿するように指示)した

このようなことではないだろうか。

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ステマ云々についてはここで終わり。

これ以降は、「なぜ連載終了前後の様々な企画で、モヤモヤした気持ちになる人がいるのか」を私見を交えて考えてゆく。

漫画家個人が手掛けた連載だと思っていたのに、様々な企業が関わった企画と判明したから

はじまりは漫画家のアカウントからひっそりと始められた連載なので、「個人が手掛けた連載企画だ」と思っても不自然ではないと思う。これは、思い込みの見当が外れたので、驚きと戸惑いが同居しているモヤモヤだと思う。

ワニの死を悼む間もなく、矢継ぎ早にコラボが発表されたから

死はすべての生物に共通するものであり、誰もが心のうちに「死への恐怖」を抱えている。死への恐怖はとても大きく、それを受け容れることは難しいものだと思う。わかっていたこととはいえ、フィクションであれリアルであれ、誰かの死を受け容れることには時間がかかる。初七日とか四十九日の法要などが風習として息づいているのには、根源的に死と向き合うために心を整理する時間が必要だからではないだろうか。

したがって、ここで引っかかったことは「タイミング」だと思う。もう少し時間を置いてからの発表なら、ワニの死をそれぞれ悼む時間を過ぎた後なら、もっと温かくコラボが迎えられたのではと思う。(もちろん人々の注目が最高点に達する時に企画を発表することが、広告の出し方としては正攻法だとは思うが)

電通」という企業に対するアレルギー

電通案件」という言葉が多く飛び交っているが、その理由は「いきものがかりとコラボした楽曲映像のPRプランナーが電通社員」「100日後に死ぬワニの公式ツイッターアカウントを運営している会社が電通と取引している」などがわかったからだ。

正直コンテンツ作成やPRに関わることは広告を手掛ける企業の本分であるし、キャラクターグッズ製作・販売企業の取引先に電通がいてもなにも不思議なことではない。別に不思議なことではないのだけれども、電通が関わっていることを過度に嫌がる人が多いということなのだろう。

 

余談。

「自分の心を他人の掌でコントロールされること」に対して嫌悪感を表明している、ということもあるのかもしれない。

自分の心が、自分以外のものに大きく影響されて、周囲の人たちと同じ気持ちになって、一体感を感じることは、とても気持ちいいことでもある。スポーツ応援や、ライブ鑑賞などはまさしくそれだろう。自分の好きなものと他人の好きなものが同じであり、好きな者同士で繋がることは楽しい。

PRなどはまさにそれを仕掛けるのが仕事なのだが、非常に難しい仕事だと思う。「みんなが同じように良い気持ちになるにはどうすればいいか」からさらに一歩踏み込んで「みんながこちらが予想した気持ちになるように、色々と仕掛けをしよう」まで考えなければいけない部分があるからだ。

熱狂の渦の中では、自分の心にある柵は取り除かれ、溶け合って一つになってゆくことが望まれる。けれども、その心の柵を取り除くかどうかは、自分自身が判断することだということを前提に私たちは生きて考えている。

この、心の柵を他の誰かに取り除かれ、自身の心の中までズカズカ入ってこられると、非常に不快に感じてしまう。ここはとてもナイーブなところだ。信頼できる相手なら、心の柵を取り除いても構わないと思うかもしれないし、そうであっても心の柵は決して取り除きたくないという人だっている。

今回は、その心の柵を取り除く作業に対して、同意を得ることが出来なかった例なのではないだろうか。