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雑記:「実績」や「トロフィー」や「評価」は誰の為にあるのか

「ASTRAL CHAIN」というニンテンドースイッチのゲームがあります。プラチナゲームズからリリースされたゲームで、レギオンという生命体の力を借りて世界を救うため戦ってゆくアクションゲームです。

プラチナゲームズはアクションゲームを多く作ってきました。プラチナゲームズ製のゲームに共通する要素はいくつか挙げられるのですが、その一つに「評価システム」というものがあります。ゲームプレイがチェックポイントで区切られ、各シーンのゲームプレイが素晴らしいかどうか様々な要素で評価し、ランク付けするものです。

評価システムのポジティブな面は、良い評価を与えることでプレイヤーに達成感を与えることだと思います。ゲームの側から、効率よく素早くクリアできた、アクションのコンボや連撃を重ねて高ダメージを与えた、敵の攻撃を華麗にかわしノーダメージでクリアできた等、様々な目標を提示し、それらを成し遂げたプレイヤーに良い評価という称賛を贈ることで気持ち良いゲームプレイに繋がると考えられます。また、様々な評価軸を意識することによって、プレイヤーがゲームスキルを上達させる助けにもなるでしょう。良い評価を求めて何度も繰り返しプレイしてもらうのも、製作側の意図としてあるかもしれません。

ネガティブな面についても考えてみましょう。評価システムそのものがストレスに感じてしまうこともあると思います。たしかにゲームプレイが上手くいっている時は快適に遊べるかもしれませんが、特に初見プレイの時は、必ずしも良いプレイが出来るとは限りません。戦う敵の挙動や操作キャラの操作感覚などに影響されて、思うようにいかないプレイをしてしまった時には低い評価をつけられてしまうことになります。自分が試行錯誤しているその過程を低評価にされてしまうと、ゲームプレイへのモチベーションを大きく下げてしまいかねないのではないでしょうか。

「ASTRAL CHAIN」では、評価システムの在り方について見直しがされたと感じました。ゲームの難易度を低く設定した場合は、評価を行わないという決断をしています。ゲームから評価を受けるか受けないかを選択することが出来るようになったと言えるのではないでしょうか。

ここで私が考えたのは、ゲームプレイヤーとしての評価システムとの付き合い方についてです。合わせて「実績」や「トロフィー」についても思いを巡らせました。

「実績」や「トロフィー」も評価システムの一つなので、それらを設定している目的はプレイヤーに達成感を与えるためだといえるでしょう。(こちらはゲームジャンルを問わず「やり込み」に対する製作側からの感謝の気持ちと捉えることもできるかもしれません)プレイヤーも「実績」などの明確な目標があれば、プレイしやすくなっていると感じるのではないでしょうか。

私がここで「付き合い方」について考えるようになったのは、ゲーム側からもらった「実績」等の数々の評価は、決してそのプレイヤーの出来不出来を定めるものではないと改めて思ったからです。

たしかに「実績」などは各プレイヤーがゲームで目標を達成した証と言えます。アクションゲームであれば、ゲームスキルが上手いとゲーム側から認められたといえるでしょう。また、自分がどれだけゲームを隅々までやり込んだのかを証明するものにもなると言えます。

「実績」はいわばゲームから授与された勲章といえるでしょう、その勲章をもらったことはとても誇れることだと思います。ただし、勲章を付けている理由で、勲章を付けてない他者を見下すことは(当たり前のことだと思いますが)出来るわけないし、逆に勲章を付けている人のことを「偉い」と感じ不当に讃える必要もないと私は思います。

ゲームをプレイし、レビュー等の形で評価したり、あるいは他者にゲームのことを紹介・説明する時に、私たちはつい「どこまでプレイしたのか」を過剰に気にしてしまっているのではないでしょうか。無意識のうちに「ゲームプレイが上手な人がゲームを語る資格がある、下手な人は語る資格がない」「ゲームの『実績』を100%取得してからでないと、そのゲームの『正しい姿』は見えてこない」などと考えたりしてしまってはいないでしょうか。

勿論、ゲームをトコトンやり込んで初めて見えてくるゲームの魅力や姿はあると思いす。しかし、だからと言ってそれは「やり込んでいないから、ゲームのことをしっかり理解していない」というわけではない、と思います。

ゲームを遊ぶとは、体験であると思います。つまり、ゲームを遊んだ一人一人によって、遊び方も異なるし、そこから見えてくる姿、遊んだ感想は様々に存在すると思います。だから、どんな感想をもつのかも自由だし、どのようなレビューをするのかも個々人の自由だと思います。

必要なのは、自分がどこまでプレイしたのかを明確にすること、ではないでしょうか。どのようにプレイしたか、これまでどんなゲームをプレイしたのか、それらを踏まえた上で自由に感想を述べてゆくことが出来ると私は思います。要するに「責任の所在をはっきりしておく」ということです。

もっと自由に、もっと気軽に、もっと楽しくゲームレビューをしてゆきたいと思った所存でした。