知らないことだらけ

ゲームとゲーム音楽と雑記

プレイ日記:「デス・ストランディング」備忘録

「デス・ストランディング」をのんびり、のんびりと遊んでいる。(現在5章途中と言えばだいたいどの辺りか、わかるだろうか。)

 

元々効率を求めず、マイペースに世界を歩き回るプレイスタイル+メインミッション以外の配送依頼もすべて受注するので、必然的に業務量が多くなってしまう。プレイ時間がどんどん伸びる。でも、飽きるわけでもない。「デススト」の世界で配送することが、まるで仕事のように当たり前になってきた。

 

いつか振り返った時の助けになるように、今この時点で感じていることを記す。ゲームのネタバレ要素も多少盛り込んであるのでご覧頂く際はその旨ご了承いただきたい。

 

 

轍が残る。

「デススト」の世界ではプレイヤーが通った道程が足跡として残り、轍が作られてゆく。ネット通信をオンにしている場合は、他プレイヤーの足跡も共有できるので、必然的に多くの轍が生まれてゆく。

轍は便利だ。まだ自分が歩いたことのない土地でも、轍があればそこに吸い寄せられてゆく。誰かが通った道だから、といおう安心感がある。実際踏み均された轍はとても歩きやすい。「デススト」は目的地まで荷物を配送するゲームなので、配送で使う道が歩きやすいことは、とてもありがたい。

 

轍を見ると、二つの気持ちが思い浮かぶ。

一つは、轍をもっと広げたくなる気持ち。幾つかある轍から、自分が進む方向と同じ轍があると、「この便利な轍をもっと便利にしたいので、何度も往復して踏みしめよう」という気持ちになる。轍を通して、この世界とは別のサム・ブリッジスと繋がっている、そんな安心感を轍からもらうことができる。

もう一つは、轍とは別のルートで歩きたくなる気持ち。みんなが歩いている道とは別の道を歩きたくなる。この世界を自分の足で切り拓いてみたくなる気持ち。地図を広げ、ルートを考え、まだ誰にも踏み均されていない大地を突き進み、轍を作ってゆく気持ち。

 

自分が歩いた道を確認することができる、誰かの通った足跡がわかる、轍を助けにすることが出来る、轍で誰かを助けることも出来る。その選択肢は自分の手の中にある。

轍を通して、こことは違う別の世界を救っている幾多の「サム・ポーター・ブリッジス」の姿が感じられることがいい。

 

建築物・配送荷物等を共有できる。

轍の話と近い。誰かが作った建築物を、自分も使うことが出来る。レンタサイクル感覚で気軽にトライクやトラックを借りることが出来るし、目的地の車庫もしくはセーフハウスに「返却」することが出来る。誰かが作ったもので助けられる自分がいるし、一方では自分が作った建築物が誰かを救っているかもしれない。それらの感謝が「いいね」で通い合ってゆく。

配送荷物も共有できる。誰かが様々なトラブルで届けることが出来なかった、もしくは託した荷物を、途中で回収してその荷物の目的地まで届けることができる。直接的にお礼を言われるわけではないが、誰かのために働くことができた、という実感が残る。

そう、この「誰かの為に働くことが出来た」という実感こそが、このゲームを遊び続けたくなる気持ちに繋がっている。これは建築物でもそうだ。ゲーム中では建築物に劣化率や建築物レベルが設定されており、資材を投入することで、修繕したり建築物をバージョンアップすることができる。これは他者と共有する建築物等にも適応される。特にゲーム内の国道を修繕するのはこのゲームの一大イベントだと思う。ブリッジス全員で国道を繋ぎ、荒野に伸びた一本の国道を眺めるのは最高だ。

アメリカを救うというメインミッションとはまた違った動機で、また荷物を運び、建築物を直す資材を運ぶ。保守点検だけでその日のゲームプレイが終わる日もある。でもそれがいい。誰かの助けとなるたしかな仕事が出来ることは、こんなにもあたたかくて気持ちいい。

 

ジップラインが楽しすぎる。

定点と定点を結んでその間を高速で移動することができるジップライン。これまでは地形や国道の有無によって大まかに作られてきた移動ルートを往復してきたが。ここにきて自由なルート作成をする力が与えられた。山を飛び谷を越え、僕らの町にやって来た。サム・ブリッジスがやってきた。地形の高低差やジャンプの範囲には制限されるが、それらを考えながらビーコンを刺してゆき、ジップラインを繋げてゆくことは、さらにいっそう街と街を繋げている実感が強い。マップを開き、点と点を線で結び、自分の足で現地まで行き建築してゆく。新しいインフラを整備してゆく感覚が気持ちいい。