知らないことだらけ

ゲームとゲーム音楽と雑記

考察:「ゼノブレイドDE」の追加要素を見て

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Nintendo Direct mini 2020.3.26」で「ゼノブレイド ディフィニティブ・エディション」(以下文中「DE」と表記)の続報が発表され、発売予定日、ゲーム内映像紹介、追加ストーリー等様々な内容が明らかにされました。本稿ではそこで明らかになった「ゼノブレイド」(以下「無印」と表記)との相違点を改めて整理してみます。

 

なお、本稿は「無印」及び「ゼノブレイド2」(以下文中「2」と表記)の物語の核心に触れた記述が含まれます。閲覧の際はご注意ください。

  • アルヴィースのチョーカー
  • 追加ストーリー「つながる未来」
  • 追加要素の是非と雑感

 

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雑記:「100日後に死ぬワニ」はステマと言えるのか?

「100日後に死ぬワニ」のツイッター漫画連載が終了した。そして、終了前には予想しなかった騒ぎが起きているようだ。

それは、「『100日後に死ぬワニ』は電通ステマだ」という意見だ。ツイッター上で色んな意見が流れてきたので、少し整理して考えたことを残しておこうと思う。

 

結論から言ってしまえば、今回の騒動全体を指して「ワニはステマだ!」と短絡的に評してしまうことは出来ないと思う。

 

ステマ」ことステルスマーケティングにどのようなものがあるか。

 

  • 企業から依頼された宣伝物を、あくまで個人のオススメであるとして、偽装の口コミを作る
  • 店頭にサクラの行列を作ることで、「行列のできる人気のお店」だと錯覚させる偽のイメージを作る
  • さも客観的な評論であるかのように、内部の人間を公平な立場だと偽り評論させる


ありもしない「人気」「評判」を偽装して宣伝広告してゆく行為をステルスマーケティングと言って来たのではないだろうか。

 

では「ステマだ!」と叫ぶ人たちは、何を隠されてきたと感じているのか。それはおそらく「個人で漫画制作・連載してきたものだと思って来たのに、コンテンツ作成に企業が関わっていたこと」だろう。

しかし、コンテンツ作成が個人で行われたかどうかは、ステマの是非には値しないだろう。

そもそも、漫画を描くにあたって、執筆者の他に、編集者などが関わっていることは珍しくない。大企業でなくても、アシスタントを雇って描く漫画家さんなんて昔から当たり前のようにいる。そういったアシスタントを雇った個人の漫画家さんの作品をすべて「ステマ」と呼ぶのか?そうは思わないだろう。

では、漫画執筆以外の点はどうだろうか。ワニの連載終了前後に、書籍化・コラボ楽曲・映像化・オフィシャルショップ展開など、様々な企画が立て続けに発表された。コンテンツを盛り上げる為に各社企業が参入して、それぞれ多方面に仕込むことは珍しいことではないと思う。「100日後に死ぬワニ」という企画を立てて、それを連載する人がいる、グッズを作る人がいる、PRを担当する人がいる。

これらの展開が、いつから、どのように企画されてきたのかは明らかにされていない。漫画連載後に多方面から企画が来たのかもしれないし、漫画連載前からあらかじめ企画されていたことかもしれない。恐らく「ステマだ!」と憤る人が”隠された”と感じている部分は、この部分であろう。

しかし、この見えない人たちの存在が、ステルスマーケティング行為とみなされるわけではないと思う。ここで関わった人たちは、それぞれ連載終了のタイミングに合わせてそれぞれの仕事をしていただけなのだから。むしろ世に存在する様々なコンテンツは、チームで作り上げているものも多いし、チームで計画的に取り組んだ方がクォリティが良いものが多いと思う。

仮にもし、ワニのステマが存在するのならばそれは、

  • 企業が作成したアカウントが個人を装い、ワニの漫画を紹介して「この漫画とても気になる!」など口コミを投稿(もしくは投稿するように指示)した

このようなことではないだろうか。

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ステマ云々についてはここで終わり。

これ以降は、「なぜ連載終了前後の様々な企画で、モヤモヤした気持ちになる人がいるのか」を私見を交えて考えてゆく。

漫画家個人が手掛けた連載だと思っていたのに、様々な企業が関わった企画と判明したから

はじまりは漫画家のアカウントからひっそりと始められた連載なので、「個人が手掛けた連載企画だ」と思っても不自然ではないと思う。これは、思い込みの見当が外れたので、驚きと戸惑いが同居しているモヤモヤだと思う。

ワニの死を悼む間もなく、矢継ぎ早にコラボが発表されたから

死はすべての生物に共通するものであり、誰もが心のうちに「死への恐怖」を抱えている。死への恐怖はとても大きく、それを受け容れることは難しいものだと思う。わかっていたこととはいえ、フィクションであれリアルであれ、誰かの死を受け容れることには時間がかかる。初七日とか四十九日の法要などが風習として息づいているのには、根源的に死と向き合うために心を整理する時間が必要だからではないだろうか。

したがって、ここで引っかかったことは「タイミング」だと思う。もう少し時間を置いてからの発表なら、ワニの死をそれぞれ悼む時間を過ぎた後なら、もっと温かくコラボが迎えられたのではと思う。(もちろん人々の注目が最高点に達する時に企画を発表することが、広告の出し方としては正攻法だとは思うが)

電通」という企業に対するアレルギー

電通案件」という言葉が多く飛び交っているが、その理由は「いきものがかりとコラボした楽曲映像のPRプランナーが電通社員」「100日後に死ぬワニの公式ツイッターアカウントを運営している会社が電通と取引している」などがわかったからだ。

正直コンテンツ作成やPRに関わることは広告を手掛ける企業の本分であるし、キャラクターグッズ製作・販売企業の取引先に電通がいてもなにも不思議なことではない。別に不思議なことではないのだけれども、電通が関わっていることを過度に嫌がる人が多いということなのだろう。

 

余談。

「自分の心を他人の掌でコントロールされること」に対して嫌悪感を表明している、ということもあるのかもしれない。

自分の心が、自分以外のものに大きく影響されて、周囲の人たちと同じ気持ちになって、一体感を感じることは、とても気持ちいいことでもある。スポーツ応援や、ライブ鑑賞などはまさしくそれだろう。自分の好きなものと他人の好きなものが同じであり、好きな者同士で繋がることは楽しい。

PRなどはまさにそれを仕掛けるのが仕事なのだが、非常に難しい仕事だと思う。「みんなが同じように良い気持ちになるにはどうすればいいか」からさらに一歩踏み込んで「みんながこちらが予想した気持ちになるように、色々と仕掛けをしよう」まで考えなければいけない部分があるからだ。

熱狂の渦の中では、自分の心にある柵は取り除かれ、溶け合って一つになってゆくことが望まれる。けれども、その心の柵を取り除くかどうかは、自分自身が判断することだということを前提に私たちは生きて考えている。

この、心の柵を他の誰かに取り除かれ、自身の心の中までズカズカ入ってこられると、非常に不快に感じてしまう。ここはとてもナイーブなところだ。信頼できる相手なら、心の柵を取り除いても構わないと思うかもしれないし、そうであっても心の柵は決して取り除きたくないという人だっている。

今回は、その心の柵を取り除く作業に対して、同意を得ることが出来なかった例なのではないだろうか。

 

 

 



 

雑記:「実績」や「トロフィー」や「評価」は誰の為にあるのか

「ASTRAL CHAIN」というニンテンドースイッチのゲームがあります。プラチナゲームズからリリースされたゲームで、レギオンという生命体の力を借りて世界を救うため戦ってゆくアクションゲームです。

プラチナゲームズはアクションゲームを多く作ってきました。プラチナゲームズ製のゲームに共通する要素はいくつか挙げられるのですが、その一つに「評価システム」というものがあります。ゲームプレイがチェックポイントで区切られ、各シーンのゲームプレイが素晴らしいかどうか様々な要素で評価し、ランク付けするものです。

評価システムのポジティブな面は、良い評価を与えることでプレイヤーに達成感を与えることだと思います。ゲームの側から、効率よく素早くクリアできた、アクションのコンボや連撃を重ねて高ダメージを与えた、敵の攻撃を華麗にかわしノーダメージでクリアできた等、様々な目標を提示し、それらを成し遂げたプレイヤーに良い評価という称賛を贈ることで気持ち良いゲームプレイに繋がると考えられます。また、様々な評価軸を意識することによって、プレイヤーがゲームスキルを上達させる助けにもなるでしょう。良い評価を求めて何度も繰り返しプレイしてもらうのも、製作側の意図としてあるかもしれません。

ネガティブな面についても考えてみましょう。評価システムそのものがストレスに感じてしまうこともあると思います。たしかにゲームプレイが上手くいっている時は快適に遊べるかもしれませんが、特に初見プレイの時は、必ずしも良いプレイが出来るとは限りません。戦う敵の挙動や操作キャラの操作感覚などに影響されて、思うようにいかないプレイをしてしまった時には低い評価をつけられてしまうことになります。自分が試行錯誤しているその過程を低評価にされてしまうと、ゲームプレイへのモチベーションを大きく下げてしまいかねないのではないでしょうか。

「ASTRAL CHAIN」では、評価システムの在り方について見直しがされたと感じました。ゲームの難易度を低く設定した場合は、評価を行わないという決断をしています。ゲームから評価を受けるか受けないかを選択することが出来るようになったと言えるのではないでしょうか。

ここで私が考えたのは、ゲームプレイヤーとしての評価システムとの付き合い方についてです。合わせて「実績」や「トロフィー」についても思いを巡らせました。

「実績」や「トロフィー」も評価システムの一つなので、それらを設定している目的はプレイヤーに達成感を与えるためだといえるでしょう。(こちらはゲームジャンルを問わず「やり込み」に対する製作側からの感謝の気持ちと捉えることもできるかもしれません)プレイヤーも「実績」などの明確な目標があれば、プレイしやすくなっていると感じるのではないでしょうか。

私がここで「付き合い方」について考えるようになったのは、ゲーム側からもらった「実績」等の数々の評価は、決してそのプレイヤーの出来不出来を定めるものではないと改めて思ったからです。

たしかに「実績」などは各プレイヤーがゲームで目標を達成した証と言えます。アクションゲームであれば、ゲームスキルが上手いとゲーム側から認められたといえるでしょう。また、自分がどれだけゲームを隅々までやり込んだのかを証明するものにもなると言えます。

「実績」はいわばゲームから授与された勲章といえるでしょう、その勲章をもらったことはとても誇れることだと思います。ただし、勲章を付けている理由で、勲章を付けてない他者を見下すことは(当たり前のことだと思いますが)出来るわけないし、逆に勲章を付けている人のことを「偉い」と感じ不当に讃える必要もないと私は思います。

ゲームをプレイし、レビュー等の形で評価したり、あるいは他者にゲームのことを紹介・説明する時に、私たちはつい「どこまでプレイしたのか」を過剰に気にしてしまっているのではないでしょうか。無意識のうちに「ゲームプレイが上手な人がゲームを語る資格がある、下手な人は語る資格がない」「ゲームの『実績』を100%取得してからでないと、そのゲームの『正しい姿』は見えてこない」などと考えたりしてしまってはいないでしょうか。

勿論、ゲームをトコトンやり込んで初めて見えてくるゲームの魅力や姿はあると思いす。しかし、だからと言ってそれは「やり込んでいないから、ゲームのことをしっかり理解していない」というわけではない、と思います。

ゲームを遊ぶとは、体験であると思います。つまり、ゲームを遊んだ一人一人によって、遊び方も異なるし、そこから見えてくる姿、遊んだ感想は様々に存在すると思います。だから、どんな感想をもつのかも自由だし、どのようなレビューをするのかも個々人の自由だと思います。

必要なのは、自分がどこまでプレイしたのかを明確にすること、ではないでしょうか。どのようにプレイしたか、これまでどんなゲームをプレイしたのか、それらを踏まえた上で自由に感想を述べてゆくことが出来ると私は思います。要するに「責任の所在をはっきりしておく」ということです。

もっと自由に、もっと気軽に、もっと楽しくゲームレビューをしてゆきたいと思った所存でした。

雑記:レビューを書き続けるその理由(わけ)は

 こんな記事を読んだ。

jp.ign.com

プロのライターさんが書くレビューとそうでないユーザーレビューの違いがまとめてある。責任の重さの違いはあれど、妥当さや正しさは変わりゆくものなので求めるものではないと。”自分の正しさは他人にとっての正しさではないので注意が必要ですね。”という一節がまさにその通りだなぁと思う次第だった。

プロのレビューがそこにあるのはわかる、それはレビューを書くのが仕事だからだ。ではプロでもない自分がレビューを書くのはなぜだ、それを改めて自問自答してみたい。故に今回の記事は(これまでもそうであったけど)自分の為に書くことになる。

なぜレビューを書くのか。

それは書きたいから書くのだ。

当たり前のことだが、書きたくなかったら書かない。書くというのは感情の整理だと思う。自分がゲームや音楽と出会い、生まれた感情やその動き・変化を、文章として整理して残しておきたいから、レビューを書いていると思う。その時の感情を、自分の言葉で整理していると言い換えてもいい。

感情は、自分がその時感じているよりも、ナイーブで不定形なものだ。その感情をじっと見つめて、形を見定めてゆくことが大切なことだと思う。ただ、このようなことは別に自分の言葉でなくても出来てしまう。その時の流行りの言葉、手になじんだ皆が使う言葉で、十分感情に名付けをすることができる。整理整頓を手早くするのなら、これが手っ取り早い。「エモい」とか「ヤバい」で十分に片づけは捗ってゆく。

自分の言葉で書き残すのは、それとは違うのかもしれない。本棚に並ぶ本のように、感情を整頓して並べて保存したいという点はたしかにそうなんだけど、それは自分の言葉で表現するのとは少し違う。自分の言葉で書くことは、目の前に残った感情を自分でかみ砕いて、自分の一部にしてゆくことだ。作品からもらったエネルギーや知見、感動をじっと見つめ、食べて取り入れて自分の一部にしてゆく行為だ。生まれた感情を、得た知見を、かみ砕き、飲み込み、取り入れ、学んでゆく側面もある。

また文章に残すことで、自分が得た知見や感動を、他の誰かに伝えることができるかもしれない。その時得たものを、他の誰かにみてもらいたい。もっと言うならば、自分がしたこの幸せな体験を、面白い発見を、他の誰かにも共有したい。共有して、繋がった人と語り合いたい、自分と違う知見を見てみたい、知りたいという気持ちが強いと思う。自分が他の人のレビューを見て多くを学べるように、自分が書くレビューも誰かにとってそうありたいと願う気持ちがそこにあると思う。

自分が書き残した文章が、何より自分の為に、願わくば他の人の為に、なにか心に残れるようになりたくて文章を書いているのかもしれない。それはツイッターのような短文SNSだとできない。ツイッターはどうしてもその時の感情がそのまま流れてゆく。短い文章の中にギュっと言葉を込めることで、他人と繋がりやすいという面もあるが、その言葉はそのまま流れていってしまうことが多い。

言葉が流れてゆくのは、それはそれで気持ちよいのことだけれども、流れて消えてしまうことばかりだと、自分の言葉がすり減ってしまう。すり減ると、残す力が失われてゆく。何かに感動するには、その作品そのものの素晴らしさだけでは出来ないとつくづく思う。感動するには、その作品が描いている奥深くまで、自分が辿り着かないと気づくことができないとも思う。同じ作品を見て・遊んでいるはずなのに、見ているもの感じているものは人それぞれに異なる。それは細かい分析力だったり、これまでの経験の積み重ねから育んだ勘だったり、機微を感じる繊細さだったりするのかもしれない。自分の持つそれらをそれぞれ総動員して、そして初めて自分の掌に掬いきれた感動をひたすらに見つめてゆくことができる。

そこでにあるものを見つける為に、そこで見つけた感動をしっかり形にして残せるように、そしてその心に残ったことを胸に、また新しい感動を見つけられるように、他の人にも素敵な感動が届くように。自分が書かなきゃいけないと思ってしまうような、そんな大切なものと出会えるように。また繰り返しレビューを書くのだと思う。

誰に求められたわけでもない、自分で掘りたいと思った鉱山を掘っているだけだから。けれどもこの鉱山を掘りたいと言ったのは自分だから、その責任はしっかり自分に果たしてゆきたい。

レポ:第114回トライノートゼミ「最近のゲームを紹介する」

2020/3/6に開催された、トライノートさんのゼミ「最近のゲームを紹介する」にゲスト参加してきました。参加した皆でそれぞれおすすめゲームを紹介しながら、ゲーム中の曲を紹介しようというもの。以下に紹介されたゲームをまとめます。

 

セレステ

ec.nintendo.com

 

ドラえもん のび太牧場物語

bd.bn-ent.net

 

DAEMON X MACHINA

dxm.marv.jp

 

リングフィットアドベンチャー

www.nintendo.co.jp

 

ボムスリンガー

ec.nintendo.com

 

Touhou Luna Nights

store.steampowered.com

 

サマーポケッツ

key.visualarts.gr.jp

 

エースコンバット7 スカイズ・アンノウン

ace7.acecombat.jp

 

幻影異聞録♯FE Encore

www.nintendo.co.jp

 

東方スペルバブル

taito.co.jp

 

 ニンテンドースイッチPS4、Steamなど様々なプラットフォームでしたが、それぞれ実機でプレイしながらの紹介でした。大きなプロジェクタにゲーム画面を映して実際にプレイしている様子を見ながら紹介をしてもらえるのは、こういう集まりならではの楽しみ方だったと思いました。また、紹介したゲームのジャンルも多様で、幾つか気になるソフトにも出会えたので機会があればプレイしたいと思いました。

 

私は「リングフィットアドベンチャー」と「幻影異聞録♯FE Encore」を紹介させて頂きました。現地では「リングフィットアドベンチャー」を実際に身体を動かして紹介できて楽しかったです。

運動するのに精いっぱいだったため、当日伝えそびれた、RFAのオススメポイントをここで補足します。

・デスクワーカー、楽器演奏者、ライブに参戦するファンにおすすめ

楽しく全身のトレーニングができるRFAですが、ぜひオススメしたい人は上記の人たちです。肩こり・腰痛に悩まされがちなデスクワーカーに効果的なトレーニングが揃っている、体幹の強化で楽器演奏に必要な筋力が鍛えられる、ライブ(特にスタンディング)で声を上げたり腕を上げたり長時間立ちっぱなしになったりしても疲れない体力が手に入る。アスリートほどのがっちりした筋力まではいかないものの、人生を豊かにするだけの体力を手に入れるにはとてもいい運動だと思います。

・リングコンのグリップ、レッグバンドが洗濯できて清潔である

グリップ・レッグバンドはそれぞれ簡単に洗濯できます。長期間のトレーニングを楽しむ、もしくは家族複数人で共有することになっても、いつでも清潔を保つことができ、安心してトレーニング出来ます。

・ビジュアル・音楽も素敵

ゲームで出来るトレーニングにひかれてしまいますが、ゲームとして評価できるところはグラフィックなどのゲームビジュアルが美しいこと、プレイ中に聞こえてくる音楽がどれも素晴らしいこと。音楽はアップテンポな曲が多く、シンセサイザーの力強い音がトレーニングの気持ちを上げてくれます。

・トレーニングや日常の助けになる知識が身につく

ストレッチ中やトレーニング終了時の「今日のひとこと」等で、栄養学やトレーニングに関する知識を学ぶことができます。楽しくトレーニングして、楽しく学ぶことができる。このゲームを習慣づけることで、様々な学びが得られると思います。

 

余談が長くなりましたが、たくさんゲームを知れて、たくさんお話しできた素敵な会でした。開催をして頂いたトライノートの皆さま、ありがとうございました。次回のゲスト参加ゼミは、5/30に予定しているとのことです。

 


またよろしくお願いします。