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雑記:ボルダリングをやってよかったこと

ここ最近は時間の空いた時にボルダリングを楽しんでいます。最寄り駅からほど近いボルダリングジムで週に何回か、60分から90分くらいの時間で壁を登ってます。

ボルダリングを少しやってみて、よかったことを書いてみます。

  • 身体と頭を共に動かす気持ちよさ
  • 「できないことができる」ことは楽しい
  • 全部自分に返ってきてくれる
  • 「指導者に教わる」ことはとても大事
 身体と頭を共に動かす面白さ

少しだけボルダリングについて説明をします。

ボルダリングは、壁につけられたホールドという岩に似せたプラスチックの足場を手掛かりにして、決められたルートを辿ってゆくスポーツです。使えるホールドと使えるルートを組み合わせたものが課題となります。

ホールドの形状は様々で、掴みやすいもの、小さくて足を乗せにくいものなどがあります。またルートも様々で、きつい斜面を登ってゆくもの、マントルのような地形を水平方向に進んでゆくもの、反り返った斜面を登るものなのどがあり、また、両足をどのホールドにも自由に乗せていいものから、足を乗せるホールドが制限されたものもあります。ホールドとルートの組み合わせで、課題の難易度が決まります。

普段身体を動かす習慣がほとんどない筆者にとって、ボルダリングはなかなかにハードです。壁を登るには腕の筋力と握力が必要……と思いきや、むしろ身体を支える脚の力や、腕に頼り過ぎないように身体を自由自在に動かす体幹の強さが大事とのことでした。一度登れた課題でも、もっと腕に頼らずに登れないだろうか、と身体の動かし方を意識しながら自分の身体を感じて動かすことは、とても楽しいです。

「できないことができる」ことは楽しい

課題の難易度は様々で、筆者は初級から順に課題に取り組みました。はじめは小学生でも登れるような斜面が緩く、ホールドが掴みやすいものでした。しかし課題の難易度が上がるにつれ、ホールドは掴みにくく小さいものになり、ルートも険しいものになってゆきます。掴もうとしてもうまく握れないホールドに苦労し、思い切り力を込めて身体を支えるにはあまりにも小さい足場に不安を覚え、どう考えても届きそうもないホールドを要求するルートに眩暈を覚えてしまいます。

「もう無理、できない」と壁を登るたびにいつも思います。この感覚は久しぶりでした。それは出来ないことへの不安とそれでも出来るようになりたいというワクワクが混ざり合った気持ちでした。

この感覚を嬉しいと思った理由には、日々の生活で「消耗」を感じ続けていたからだと思います。勿論日々の仕事ではとても考えることも多いし、その都度乗り越えてきたことも色々ある。日々の生活だって、美味しいものを食べて、新しいものを見聞きして、好きなものに触れたりと刺激を受け、心を揺さぶられてきました。けれども、そうやって触れてきたもの、乗り越えてきた仕事が、自らの中に積み重なってゆくということが上手くできませんでした。

その結果、時間は流れ、歳を重ねてゆく中で、自分自身が少しずつ削れてゆくのを感じていました。それこそ身を削り心を削り仕事をしてゆくけれども、身体は衰え、視力も聴力も衰え、健康診断の数値もどんどん悪くなってゆく。文章にするとちょっと大げさになってしまいましたが、そういった不安ばかりが増えてゆくように感じていました。

ボルダリングは「できる」「できない」がとても分かりやすいものだと思います。そしてその「できる」感覚を身体でダイレクトに感じることができます。届かなかったホールドを掴めた、身体の動きを変えたことで登るのが楽になった、などの「手ごたえ」が直接わかります。できなかったことが、できるようになる。できなかった時に悩んだことが、次のトライで活きてくる。そういった「また明日も頑張ってみよう」という気持ちが、とても嬉しくてたまらないと感じました。 

全部自分に返ってきてくれる

ボルダリングは一人で壁に登ります。課題に対して自分自身がどう動くのか、どのように進んでゆくのか、身体の動かし方を自分が決めて、その結果の身体への負担を自分が受け止めます。自分の身体で得た感覚を基にして、課題の攻略法を考え、そしてまた課題にむかってゆく。このトライ&エラーのサイクルを壁と自分自身との対話で繰り返すことが出来るのは、とても大切だと思いました。今自分の身体を支えることのできる筋力があるか、登り続けるスタミナはあるか。そして難しい課題に立ち向かう時の不安を乗り越える勇気はあるか。そんな様々な不安や覚悟を 、他の人に迷惑をかけることなく、自分自身で受け止めることができる。誰かのせいにせずに、自分自身の課題として受け止めることができる。他人のことをに悩まないで自分自身に集中できる時間ができることは、とても心地よいものだと思います。 

 「指導者に教わる」ことはとても大事

 前項と矛盾しているように思えますが、教わることはとても大事だと改めて感じました。見様見真似ではわからない、身体の使い方や、ルートの組み立て方など、合理的な知識を身体で感じることが何よりも大切だと思うからです。

そして、個人的にとても大事と思ったことは、「もう無理だ」と思った時に、指導者の方からの声援をもらうことです。限られた足場を使って壁を登ってゆくことは、とても楽しい反面とても怖いです。安全面に配慮されて、絶対に大丈夫だとわかっていても、次のホールドに届かないのではないか、この筋力では支えきれないのではないか、そのような恐怖は常にあります。ましてやまだクリアしたことのない課題の場合は、目指すホールドが実際の距離よりもはるかに遠く感じて「この課題はまだ自分には無理だ」と考えてしまいます。そういう時に、指導者の方からルートを教えてもらったり、自分が無理だと思った時に「がんばって」とか「できる」とか「自分の足を信じて」とか声をかけてくれた時に、グッと力が入って課題をクリアできることがしばしばありました。指導者の声は、何よりも勇気をもらえます。そしてボルダリングをする上で、その勇気が何よりも大切だと感じる次第です。その勇気で、また新しい課題にチャレンジすることができるとつくづく感じています。

 

長文になってしまいましたが、ボルダリングの楽しさを感じていただけたら幸いです。