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雑記:リークと言う報道の仕方について

先日の6/22に第5回目のニンテンドーダイレクトがありました。
http://www.nintendo.co.jp/n10/nintendo_direct/index.html

今回もとても多くの発表がありましたが、やはり一番驚いたのはニンテンドー3DSのサイズバリエーションである「ニンテンドー3DSLL」の発表が一番衝撃的だったと思います。
ニュースリリース : 2012年6月22日

ところでこのニンテンドー3DSについて、以前に日経新聞が記事を書き、それを任天堂が即座に否定したという経緯があります。
任天堂、また日経報道に激怒 わざわざ「数多くの間違い」と強調 : J-CASTニュース

日経新聞社が書いた記事に対して「憶測で書かれた記事」と否定されるというケースは一度ではありません。今回は「憶測記事」という形でしたが、後日日経新聞が報道したものとはだいぶ異なった形で3DSLLが発表されました。

私なりに考えてみましたが、このような「リーク」という報道の仕方は果たして誰が「得」をするのでしょうか。それが全く見えてこないのが本音でした。

ゲーム機に限ったことではないでしょうが、新しいもの・欲しいものが登場する時に、それがどのようなものであるにせよ、「欲しい!」という気持ちが高まる瞬間はやはりその情報が初出の時だと思います。それだけにモノづくりの会社にとって、その情報を発表するタイミング・発表の仕方などはとても大切なものでしょう。

リークと言う報道方法は、その「初出の衝撃」をメーカーから奪ってしまうものだと思います。衝撃的な話題によって、報道した新聞社やメーカーには一瞬注目が集まりますが、後日にメーカー側から発表した時には「事実確認」といった色合いが強く、与える衝撃度や購買意欲をそそる発表になるかと言えば、首を傾げてしまいます。

今の日経新聞の報道はこのような「リーク」や「飛ばし」と言われるようなものが散見されています、これはメディアにとって致命的だと思います。たしかに大手新聞社という「声の大きい人」が言うことは影響が大きく、その報道内容について疑問を持たずにそのまま受け取る人も中にはいるかもしれませんが、正確性に欠ける報道を繰り返してしまえば「あそこの報道はアテにならない」という人たちが増えて見限られてしまうと私は考えます。

しょーもない例えをするならば、その昔、小学校などで「○○くんは、××ちゃんのことが好きなんだってー!」と大きな声でみんなにすぐ言いふらすような子がどこにでもいたでしょう。たしかにその情報はすぐにみんなに伝わり、○○くんに注目がいきます。もし○○くんが本当に××ちゃんのことを好きだとしても、その場はきっと「違うよ!」って言うだろうし、もし本当に好きじゃなくて「違うよ!」と言ったところで、その時の○○君の言葉をそのまま信じる人がどれだけいるでしょうか。あるいは、○○くんが本当に××ちゃんのことが好きで、後日××ちゃんに告白したとしても、その時すでにそのことを知っていた××ちゃんはどのように受け止めるのでしょうか。

小学校の話でしたら、その子たちのつながりや、クラスでの仲間関係が大きく変わるくらいで済むでしょう。しかし今日経新聞がやっていることはどのような影響があるか?株価は動くでしょうし、実際に3DSLLを買おうと思っている人たちへの購入意欲にも影響はあるでしょうし、なかには「(実際の所、任天堂が「3DSLLを出さない」と発表したことはないのですが)3DSLLは出さないって言ってたのに!任天堂の嘘つき!」なんて言い出す人たちも出てくる始末となってます。(最後の事例に関しては、また別の問題も絡んでくるのですが)

本来のメディアの姿としては、メディアの丁寧な取材によって記事が書かれ、メーカーもメディアと情報発表の連携をとって、望ましいタイミングで、効果的な情報発表ができるような両者が得になる関係をつくれるものだと思います。それがなぜこのように互いが「損」をするような報道方法を繰り返すのでしょうか、というのが私にはわからないところです。

任天堂ニンテンドーダイレクトという自らが情報を発信する場を設けるのも仕方のない流れだよなあ、というのが本音です。メディアとはこれからどのような存在意義をもつのでしょうか。